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死後130年以上も経ったベルナデッタの遺体。
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ファチマ(ファティマ)は、ポルトガルの首都リスボンから、北に約150kmのところにあります。1917年5月13日に、聖母マリアが3人の牧童ルチア(9才)と、そのいとこであるフランシスコ(8才)とヤシンタ(6才)の前に現れ、その後6回出現し、人類にとって重大なメッセージを残したと言われています。
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ファティマに出現した
聖母の像 |
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<ファチマ第3の預言(抜粋)> さて、今は21世紀です。あの第3の預言は何んだったのでしょう。
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この秋田のメッセージは、ファチマのメッセージの焼直しとも言えます。
★シスター笹川は、2024年8月15日に帰天いたしました。 |
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涙を流す、秋田の聖母像 |
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1978年8月27日から10月8日までの42日間に、350万人の人が1枚の「布」を見るために、北イタリアのトリノに詰めかけました。1日平均8万人、多いときには20万人もの人がこの布の前に立って深い感激を受けました。この布は縦4.36m、横1.1mほどの大きさで杉綾織の亜麻布です。この布はイエスが死んだとき、頭を真ん中に布を二つ折りにして遺体を包んだものであるといわれ、日本では「聖骸布」(せいがいふ)と呼ばれています。布自体は黄色っぽく変色していますが、ぼんやりと人の姿らしい物が写っています。しかも、正面と背中側と、人間の体の両面がきちんと写っています。それが、イエス=キリストの姿だといわれています。 |
左の写真は正面側のモノクロ写真。黒ずんでいる部分は、1532年の火災で焼けてしまった折り目の部分です。
聖骸布の像は本当にイエスなのでしょうか? |
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上表の「3」の項目以外は、どんなはりつけの刑の場合にも起こりえます。 では、聖骸布の像はどうやってできたのでしょうか? |
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1898年、弁護士のセコンド=ピアという人物が、初めて聖骸布の写真(モノクロ)を写すことに成功しました。
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ここから、聖骸布の科学的な研究が始まりました。
●またある学者は、聖書の中にイエスが葬られたとき沈香(アロエのエキス)が使われたという記述があることから、アロエが酸化するときに茶色に変色することに注目し、アロエがイエスの体から発したアンモニアによって変色作用を起こし、姿をネガのように写し出した、と説明しています。しかし、蒸発によるものにしては、聖骸布の像はあまりにも鮮明すぎるような気がします。 ●一方、「エネルギーの爆発説」をとる学者もいます。 イエスの復活にともなって、その身体が瞬間的に消え、そこから発生した光と熱によって布に姿が焼き付いたという説である。こうなると、もはや科学と実験の範囲を超える領域です。しかし、考えてみれば、広島に原爆が落とされたとき、原子爆弾による強烈な光が人間や物体の影を壁に焼き付けたという事実もあります。ある学者はこの作用を、「閃光分解」という言葉を使って表し、その時間はわずか100万分の1秒だと言いました。すなわち、暗い墓の中に置かれたイエスの遺体の内部から、突然、不思議な「力」の爆発が起こり、その瞬間、すさまじい閃光により血が気化して分解し、血液像と人体像が、消えない印となって布に焼き付き、後世に、「イエスの復活」というスナップ写真を残した……、というのです。 次のような事実もあります。 ●1973年11月モデナ大学のフランケ教授の研究所にて、聖骸布から2枚の試料片が切り取られ、17本の糸が抜き取られました。素材検査の結果、顔料や絵の具を使った形跡は一切なく、像、傷などはすべて黄色からオレンジ色に至る細かい粒子で構成され、顔料や絵の具の使用時に起こる毛管現象が認められなかった。偽造説は完全に否定されました。 ●1976年 スイスのマックス・フレイは粘着テープを聖骸布に当てて塵を採取し56種類の花粉を発見しました。その花粉の分析からパレスチナで生育していた植物の花粉(今では絶滅した種でガラリヤ湖の泥の中でのみ見つかったもの)を見つけました。他にイスタンブール(ビザンチウム)付近生息植物の花粉、東部トルコのアルファ(エデッサ)、アナトリア地方の植物の花粉もあり、Ian Wilsonの想定した聖骸布移動経路(イスラエル→エデッサ→ビザンチウム→フランス→イタリア)が花粉によって裏付けられました。 |
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では逆に、 聖骸布の痕跡から十字架に その十字架を復元したのが左の写真です。 手の釘は、手のひらではなく手首に (イタリア、アッシジのピオ11世教皇立連合神学校所蔵) |
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NASAによる立体合成画像 |
●1977年 NASA(米航空宇宙局)がVP−8と呼ばれる最新の映像解析機で、映像分析を行いました。コンピューターにより二次元映像を三次元映像に変換できる最新の装置です。 スクリーン上には見事に立体の画像が浮かび上がりました。(左写真参照) NASAは聖骸布の平面的なネガ状態のものを立体画像化して絵画でないことを証明しました。(絵筆を使えば筆のはこび、勢いの跡が必ず浮かび上がり、立体像も大きな歪みが出る。) ●1988年、3ヶ所の別々の研究所で、聖骸布の放射性炭素による年代確定が行われました。その結果、聖骸布の織布は1260年から1390年のあいだに作られたものであり、その不思議な像は中世の贋作者の作品だろうという結論が出されました。 |
右の切り抜きは、
(讀賣新聞 1997年(平成9年)11月1日(土曜日)より) |
皆さんはこの布を何だと思いますか!?イタリアに旅行されたら是非トリノに足を運び聖骸布をご覧になってください。 |
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監修:ガエタノ・コンプリ (GAETANO COMPRI) - カトリック司祭 サレジオ神学院チマッティ資料館館長 トリノの神学生時代に聖骸布を見て感銘を受けて以来、 50年以上もその研究にあたる。 ホームページ:http://www.v-cimatti.com 2007年6月13日 発行 発行者:野間佐和子 発行所:株式会社 講談社 上半身実物大ポスター付き \3,600(税別) |
ガエタノ・コンプリ神父の facebook → ガエタノ・コンプリ神父からのメッセージ 聖骸布に関する女子パウロ会の記事です!
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